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ロシアとウクライナの戦争

日本

憂慮する日本の歴史家の会あたりの人々とか、戦争は悪い、というところで止まってしまうことが多い。

福田充教授がインタビューで答えているように

まさに戦後長い間、「危機管理」や「有事」という言葉は政治的にも学術的にもタブーになっていました。「戦前を想起させる」とか「国民を監視するものだ」というイメージが付きまとっていたからです。特に「安全保障・軍事=タカ派」というイメージは根強く、社会的にも忌避感情が強くありました。

新著『リスクコミュニケーション―多様化する危機を乗り越える』(平凡社新書)では「危機管理」という言葉が朝日新聞紙上でどの程度使われたかを調査し、グラフを掲載しています。1992年から調査し、94年までは100件以下でしたが、95年に阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件が起こり、一気に504件まで増えています。その後、北朝鮮の弾道ミサイル実験なども加わり、社会的にはある程度、危機管理の重要性が人口に膾炙するようになりました。

しかし学術的な研究は社会よりもさらに遅れています。私自身、危機管理や安全保障、テロ対策の研究をしたくても日本ではできなかったため、コロンビア大学へ渡りました。今回のウクライナ情勢についてメディアによく登場する米国政治学の中山俊宏先生、国際政治学の細谷雄一先生らは、日本では安全保障を研究できなかったこともあって海外へ出て研鑽を積んだ、日本では育てられなかった人たち。あるいはイスラム研究者の池内恵さんにしても「地域研究」名目で中東の安全保障分野を研究してきた「仲間」です。

安全保障が国内では研究しづらかった環境の帰結なのかもしれない。